好きなことをやっても楽しくないときは、〇〇のサイン!?
「本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。」
と言ったアニメのキャラクターがいました。
彼曰く、
「調子の悪い時に本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているか考える。調子が悪い時でも、すらすらと内容が入ってくる本もある。何故そうなのか考える。精神的な調律、チューニングみたいなものかな。」
とのこと。
ゆりぼうも、読書が趣味のタイプの人間なのですが、
これ、言われてみるとわかる気がします。
確かに、調子のよいときって本の内容がスイスイ入ってくるし、どんどん読める。逆に、調子の悪いときや、ほかになにか心配事があるときなんかは、1ページ読むのにも時間がかかるし、内容もまったく入ってこない。というか、「そもそも本読もう」と思えないことも多いです。
でね、これって意外と読書以外にもあてはまるなって、最近気づいたんです。
たとえば、わたしが他に好きなものはアニメです。
アニメを観るという習慣は、幼少期からほぼ途切れたことはありません。が、アニメを観ると言っても、わたしにも適切な「摂取量」がありました。
今までの経験からすると、わたしの場合、「週に4本」が適切なアニメの番組本数です。
それより少ないと、なんだか物足りない感じで、
それより多いと、なにか問題を抱えていることがある、
…という傾向が自分の中でつかめています。
もちろん、きっちり4本になる必要はなく、3本のときもあれば5本の時もあるのですが、これが過剰に10本になってたりすると、おかしいわけです。
おかしいというのは、具体的には、
「なにか現実逃避したい問題を抱えている」とかです。
たとえば、過去に毎週10本のアニメを観ている期間が一度だけありました。
そのときは、観ても観ても足りなくて、つぎつぎ再生していたのを覚えています。
つぎつぎ再生していたので、1つ1つの作品に浸る余裕もなく、次の放送を楽しみに待つような余裕もないまま、ひたすら観まくっている状態でした。
そのときゆりぼうには、「一時的にも現実逃避できる何か」が必要で、かつ、「自分を励ましてくれるもの、勇気づけてくれるもの」を求めていました。
アニメはまさに、それにドンピシャの適役だったのです。
ちなみに…「その時期」というのは、なにがあった時期だと思いますか。
正解は…
「就職活動」でした。^^;
私の年は、就職氷河期の極みで、さらに東北地震と重なって、選考が止まったりもしていました。わたしは学歴だけはめちゃくちゃいいはずなのに、全然どこにも引っ掛かりませんでした。
そのときの鬱ぐあいはすごかった。
そんなこんなで、アニメはいい現実逃避かつ励ましの場だったのです。
というか、自分の心がアニメを「そういう役割」として活用している時期でした。
そういえば、まったく逆のこともありました。
大学の卒業研究の追い込み時期、本当に本当に時間が無くて、大好きなアニメがぜんぜん観れなかったんです。
でも、「そこまでアニメが観れないのはストレス」という自覚はちゃんとありました。だから、週に1~2回だけ、ギルティクラウンのOPだけを30分間再生し続けるという謎の暴挙を行っていました。
ストーリーを見始めると止まらないので、OPだけ。
でも、ゆりぼうはド級のOPフェチなので、これが結構、満足したんです。
そんなこんなで長くなりましたが、
何が言いたかったというと、
「自分がいつもやっている好きなこと」への関わり方を観察してみると、そのときどきによって自分の調子がわかるよ!!
ということでした。
何かを長く好きでいる人、継続してやってきたことがある人は、ぜひ一度、「自分にとってのそれ」を考えてみてくださいね!
お読みいただきありがとうございました!