7つの肩書きで自分らしく生きてこう★虹いろココット

やりたいこと、欲しいもの、ワクワクする夢。ぜんぶココットのお鍋に入れて。そっと火にかければ、きっと綺麗な虹色になる。

好きなことをやっても楽しくないときは、〇〇のサイン!?

「本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。」

 

 

 

と言ったアニメのキャラクターがいました。

 

 

彼曰く、

 

「調子の悪い時に本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているか考える。調子が悪い時でも、すらすらと内容が入ってくる本もある。何故そうなのか考える。精神的な調律、チューニングみたいなものかな。」

 

とのこと。

 

ゆりぼうも、読書が趣味のタイプの人間なのですが、

これ、言われてみるとわかる気がします。

 

 

確かに、調子のよいときって本の内容がスイスイ入ってくるし、どんどん読める。逆に、調子の悪いときや、ほかになにか心配事があるときなんかは、1ページ読むのにも時間がかかるし、内容もまったく入ってこない。というか、「そもそも本読もう」と思えないことも多いです。

 

 

でね、これって意外と読書以外にもあてはまるなって、最近気づいたんです。

 

たとえば、わたしが他に好きなものはアニメです。

 

アニメを観るという習慣は、幼少期からほぼ途切れたことはありません。が、アニメを観ると言っても、わたしにも適切な「摂取量」がありました。

 

今までの経験からすると、わたしの場合、「週に4本」が適切なアニメの番組本数です。

 

それより少ないと、なんだか物足りない感じで、

それより多いと、なにか問題を抱えていることがある、

 

…という傾向が自分の中でつかめています。

 

もちろん、きっちり4本になる必要はなく、3本のときもあれば5本の時もあるのですが、これが過剰に10本になってたりすると、おかしいわけです。

 

おかしいというのは、具体的には、

「なにか現実逃避したい問題を抱えている」とかです。

 

 

たとえば、過去に毎週10本のアニメを観ている期間が一度だけありました。

そのときは、観ても観ても足りなくて、つぎつぎ再生していたのを覚えています。

 

つぎつぎ再生していたので、1つ1つの作品に浸る余裕もなく、次の放送を楽しみに待つような余裕もないまま、ひたすら観まくっている状態でした。

 

そのときゆりぼうには、「一時的にも現実逃避できる何か」が必要で、かつ、「自分を励ましてくれるもの、勇気づけてくれるもの」を求めていました。

 

アニメはまさに、それにドンピシャの適役だったのです。

 

 

ちなみに…「その時期」というのは、なにがあった時期だと思いますか。

 

 

 

正解は…

 

「就職活動」でした。^^;

 

 

私の年は、就職氷河期の極みで、さらに東北地震と重なって、選考が止まったりもしていました。わたしは学歴だけはめちゃくちゃいいはずなのに、全然どこにも引っ掛かりませんでした。

 

そのときの鬱ぐあいはすごかった。

 

 

そんなこんなで、アニメはいい現実逃避かつ励ましの場だったのです。

というか、自分の心がアニメを「そういう役割」として活用している時期でした。

 

 

そういえば、まったく逆のこともありました。

大学の卒業研究の追い込み時期、本当に本当に時間が無くて、大好きなアニメがぜんぜん観れなかったんです。

 

でも、「そこまでアニメが観れないのはストレス」という自覚はちゃんとありました。だから、週に1~2回だけ、ギルティクラウンのOPだけを30分間再生し続けるという謎の暴挙を行っていました。

 

ストーリーを見始めると止まらないので、OPだけ。

でも、ゆりぼうはド級のOPフェチなので、これが結構、満足したんです。

 

 

そんなこんなで長くなりましたが、

何が言いたかったというと、

 

「自分がいつもやっている好きなこと」への関わり方を観察してみると、そのときどきによって自分の調子がわかるよ!!

 

ということでした。

何かを長く好きでいる人、継続してやってきたことがある人は、ぜひ一度、「自分にとってのそれ」を考えてみてくださいね!

 

 

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お読みいただきありがとうございました!