本当につらい時に、一番大切な人のことを想えますか
人生のギリギリのところに立った時。
「ああ、もう本当にダメかも」と思った時。
一番大切な人のことを、頼ることができますか。
もしくは、その人のことを、想うことができますか。
その人のために、踏みとどまることが、できますか。
この間、夜遅く、友人が切羽詰まった様子で泣きながら電話をしてきた。
「もう飛び込もうかと思ったけど、どうしても声がききたかった」と。
そんなつらいときに、わたしを頼ってくれたことは、とても嬉しい。
彼女にとって、わたしの存在が、ほんの少しでも希望になったのなら。
それはもう言葉にできない。彼女にとっての「そんな瞬間」にわたしを思い出させるために役立ってくれた、すべての出来事や人やタイミングに感謝したい。
でも、聞けばその時、彼女は恋人と一緒だったという。
電話口ではとてもそんな様子に見えず、会ってその話を聞いたときも彼女は泣いていたが、恋人の存在がまるで空気のようだった。
それがいいとか悪いとかは今おいといて…とりあえず。
「彼女は彼を頼ることができていない」、ってことだと思った。
★★★
話は飛んで、この間、ある人のブログを読んだ。
こちらの話は知人でもなんでもない。
内容としては、生きるのがつらくて、愛する人と籍を入れる前に自殺未遂をしてしまった、という話だった。
詳細はわからないが、その後、救急搬送された彼女は2週間病院に強制入院をさせられ、その間恋人はそれがわからず捜しまわり、ようやく会えたが彼女は彼のことを
傷つけてしまったことをようやく理解したらしい。
さっきの話とはだいぶ異なるが…この場合も、
「彼女は彼を頼ることができていない」ってことが大きいのではないかと感じた。
★★★
本当につらいときに、一番大切な人を頼れないのはなぜだろう。
それには少なからず「誰かを頼る余裕もないほど混乱している・絶望しているから」という側面があるのだと思う。
または「つらいことを打ち明ける」という行為を普段から行っていないと、いざというときにできないのかもしれない。意外なようだが、「恋人には悩みを打ち明けづらい」と考えているタイプは一定数いそうだ。
私に電話してきてくれた友達も、そうなのかもしれない。
いずれにせよ、いざという時に「たすけて」と言えることは重要なスキルだと思った。スキルと言うとビジネス臭いが、今回の話ではもはや「命をつなぐために必要なこと」
だと思う。
これはもちろん、自戒もこめている。
わたしだって、いっぱいいっぱいで本当に追い詰められたときに、愛する人のことを本当に想えるかというと、できるかどうか怖い気もする。
でも、自分がもし逆の立場だったら、絶対に頼ってほしいと思うだろう。
それができるように。
それをしてもらえるように。
たまにはそういうことも考えながら、生きていこう。
自分と、大切な人のために。
お読みいただきありがとうございました。