7つの肩書きで自分らしく生きてこう★虹いろココット

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自分が疲れ切ってしまうレベルで鬱病の人の相手をしてはいけない

 ハーイ、こんにちは!

ゆりぼうです。

 

 

数日前の記事にも書きましたが、母の調子がよくありません。外傷的なものではなく鬱病なので、命にかかわるというわけではないのですが、それでもとてもつらいようです。

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そんな状態なので、母からしょっちゅう電話がかかってきます。「苦しい、頭がおかしくなりそう、助けて」と言われると、ゆりぼうは心配だし不安だし、一緒に悲しい気持ちにになってしまうのです。

 

この前も、朝からそんな連絡が来て、会社を早退して行ってあげようか、悩みました。でも、以前入院した時に実感したのですが、「重度の鬱病の人に、素人がしてあげられることは、ほぼない」のです。

 

 

さっきも書いたけど、鬱病って外傷的なものではないですよね。だからついつい、本人もまわりの人も、その人が「病気」であることを忘れがちになってしまうのです。

 

 

「話を聞いてあげれば」「寄り添ってあげれば」「悩みを一緒に考えてあげれば」…もしかしたら、よくなるんじゃないか?

 

 

そんな幻想にとりつかれます。

 

 

軽いうつ病や、鬱っぽい状態の人なら、そうしてあげることで回復することもあるのだと思います。が、重度の鬱病では無理です。良くも悪くも、「そんなこと」では良くならないのです。精神科のプロの先生の、適切な診断と処置が必要なのです。

 

 

わたしも父も、去年はそれがわかりませんでした。わたしはわたしで、寄り添うことや悩みを一緒に分かち合う人として頑張ろうとして必死だったし、父は父で、医師という立場から、母を救えると考え、指導やコントロールをしようとしていました。(※ゆりぼうの父は外科系なので精神分野は畑違いではありますが)

 

 

でも、結果としてわたしはカウンセリング通いになってしまったし、父は父で、やはり畑違いすぎる領域のことは、うまくできず、母にはそれが負担にもなってしまっていたのです。

 

母が入院してから、担当の先生と話したり、入院中に母が復活していく姿を見て、「やはりプロはすごい」と2人とも学びました。

 

 

逆に言えば、そんな過程を見るまでは、「本人や周囲の人間で解決できるもの」だと思っていたわけです。

 

 

これがもし、鬱病でなく外科的なものであれば、誰にだって「素人には解決できない」

ことがわかります。お医者さんに見せずに自分達だけで何とかしてあげようなんて、普通は思わないでしょう。

 

 

だけど、鬱病は違います。外から見えないからこその難しさが、そこにはあるのです。

 

 

 

 

何が言いたいのかと言うと、鬱病の人に寄り添ってあげようとして、疲れて切ってしまう人がいたら、それはあなたが悪いからではありません。あなたが力不足だからではありません。

 

 

 

どうか自分を責めないで、プロを頼る道を考えてみてくださいね。

 

 

 

 

 


お読みいただきありがとうございました!