「何もかもが嫌でどうしたいのかわからない」と言う人でも、実は自分で選択できる。そのために必要なモノとは。
ハーイ、こんにちは!
ゆりぼうです。
昨日、こんな記事を書きました。
上記の記事は、「 鬱病の症状が重い人を、素人が救うことはできないよ。目に見えないけど立派な病気だからね。自分たちで解決しようとせずにプロを頼ってね」という内容でした。
そして今日、さっそくですが母が入院しました。去年入院してた精神科に、退院後もそのまま定期的に通っていたのですが、そこを今日受診して、即日入院という形になりました。
母は明らかに鬱病ではありますが、その気になれば自分で外出もできるし、ご飯も作れるし、突然に発狂したりはしません。何が言いたいかと言えば、「ちゃんとしなきゃいけない場面では、しんどいながらにちゃんとできる」ほどの余力はまだあるのです。
そんな母に対して、担当の先生は「入院するかどうか」を選ばせました。
「治療としては、今の薬を変えることになる。入院せずに自宅療養でも可能だが、入院したいならそれも可能だ。どうする?」ということでした。
そして母は、入院を選びました。
わたしは口には出しませんでしたが、「やはり先生はすごいな」と思いました。何がすごいかって、「もうどうしたいのかわからない、何もかもが嫌だ」と毎日言い続けている患者に対して、自分でどうするかをさり気なく、でも確実に自分で選ばせているのだから。
これが家族だったら、埒があきません。「もう何もかも嫌だ」からはじまり、延々と愚痴と泣き言のオンパレード、そして、「結局なにをするにも嫌だ」にまた収束して、そのループを延々と繰り返します。
でも、精神科の先生には、その道のプロには、それを断ち切り、自分で選ばせる「力」があるようです。
「力」と書きましたが、それはテクニックなのか、医者という権威なのか、経験なのか、もしくはその全部なのか、ゆりぼうにはわかりません。
ただひとつわかったのは、「そこにプロが介入することで一歩進んだ」ということだけです。
何をしても、誰に頼っても、何も解決されない。全てが嫌で、つらい。
そんな「イヤイヤ病」には、誰かのチカラが必要です。
ただし、その「誰か」は、あなたの大切な人や近くにいる人ではなく、その分野に明るく知見があり、客観的な立場と判断からあなたの状態回復に必要な、適切な処置をしてくれる相手です。
身体的に症状が出ているなら、精神科を。
そうでない人は、カウンセリングを。
行ったことないところへ行くのは勇気がいりますね。でも、恥ずかしいことではありません。その人たちは、あなたが「自分で人生を選んでつくっていくこと」を手助けしてくれます。
つらいと思うなら、ほんのちょっとだけ。
思い切って一歩を。
「自分にとっていい道」を少しでも選べるよう、応援しています。
そして、わたしもそうありたいと、思います。
お読みいただきありがとうございました!