直視できないほどの鬱過去を乗り越えてたらしい2018年。大事なことを思い出したわたしは、2019年へ進む。
今週のお題「2019年の抱負」
ハーイ、こんにちは!
ゆりぼうです。
2018年ももうじき終わりを迎えますね。
そんな中、ゆりぼうは今日、ふと思い出しました。
「そういえば、自分の日記帳があったな。最近見ないけどあれどこいった?」と。
ふと思い出すぐらいなので、ずいぶん書いていないということです。というか、どこに置いたかも怪しいぐらいに見かけておりません。探すと、ずいぶんなところにしまい込んでおりました。
「どうして長い間書いてなかったんだろう、前はあんなに大事にして書いてたのに。」
そう思いながら、最後に日記を書かれたページを探します。
するとそこには、まるで自分で書いたとは思えない苦悩がつづられていました。
転職活動の苦しみ、やりたい仕事がない焦り、そして何より重かったのは、自分の「親」に対して長年持ち続けてきた怒り、憎しみ、悲しみ。
抱えてきた心の傷、なにを手に入れても満たされなかった時間。それらとの闘い。
最後の日記は4月の日付でした。入院していた母が退院したのは、5月ごろ。
そして、ゆりぼうがカウンセリングを卒業できたのも、5月ごろ。
ブログを始めたのは、そのあとぐらいから。転職が決まったのが、6月ごろ。
つまり、カウンセリングを卒業できた5月ごろからは精神的にも回復し、行動的にもなって、いろいろ上手くいきはじめました。しかし、4月ぐらいまでは、つらい絶頂期だったのです。
日記を読み返して、自分の顔が青ざめていくのがわかりました。わたしの字、わたしの文章…
でも、こんなにも思いつめて、こんなにも苦しんでいたなんて…これはなに? わたしの話…?
信じられない内容に、まるで鬱作品を見てしまったような衝撃。じわじわと、自分の中に負の感情が流れ込んでくるのに気づき、慌てて日記を閉じました。
そして、元のところに急いで戻しました。
読みたくない、読んではいけない…。今のわたしには必要ない。
日記がずいぶんなところにしまい込まれていた意味がわかった気がしました。これは、まるで違う世界の話のようです。
一瞬、捨ててしまおうかとも思いました。
もう今のわたしにはこれは必要ないのでは? と。
でも、「なかったこと」にはできないし、自分が頑張った成果でもあるので、このまましまっておくことにしました。
しばらく落ち着いてから、改めて思いました。
人間の忘却能力はすごい、と。自分を守るために、生きるために必要なことを選んでいる。
そしてこうも思いました。
わたしは頑張っていたんだな。
こんな苦しみと闘っていた時期があったんだ。
それに比べたら、今はどんなにしあわせだろうか、と。
どれだけ前へ進むことができたのだろうか、と。
実は…最近、焦ることが多いのです。
離職してフリーだった状態から7月に転職して、仕事にとられる時間が一気に増えたような気がしました。
ブログや団体のこと、そのほか独立のためにしたい色々なことが、ぜんぜん先に進められない気がして、イライラして、焦って、はやく進めたくて体にも心にも負担をかけて、体調を崩したり、会社が邪魔でイヤで病みそうになったりしてました。
でも、これでは本末転倒でした。
わたしは、まだ見ぬ幸福を得ようとするあまり、今ある幸福を見ることができなくなっていたのです。
カウンセリングに行くまでの私は、「〇〇を手に入れれば」「〇〇になれば」幸せになれる、という幻想にしがみついて、実にいろいろなものを手に入れてきたけど、心はいつも満たされなくて、寂しかったのです。
でも、わたしは、それをやめることに1度は成功しました。
「〇〇すれば」ではなく、いま自分の手にある幸福に目を向けられるようになったのです。そうなって、心は生まれてはじめて自由になって、たくさんのしあわせを感じられるようになりました。
でも、転職したり、いろいろな事業を焦って進めようとして、最近は、それをすっかり忘れてしまっていました。なんて危ういのでしょう。
だから、2019年のわたしの抱負は「原点回帰」です。
わたしは、一番大切なものを、大切にして生きていきたかったんだと、思い出せたので。
なりたいものや、欲しいものはいつだってある。でも、一番大切なものは、いつだって、今の自分にある幸せなんだと。それを忘れずに携えて、さらに成長できる1年にしていきます!
みなさんも日々お忙しいでしょうか、どうかあなたにとって一番大切なものを、大切にできますように。
今年はお読みいただきありがとうございました!
来年も、ますます輝いていきたい「虹いろココット」をどうぞよろしくお願いいたします!