「大丈夫だよ」と言ってくれる人の存在が、誰かの人生を支える
ハーイ、こんにちは!
ゆりぼうです。
昨日、大切なことを親に話してきました。
話自体はとても和やかに済んだのですが、
そのあと、一人暮らしの自分の家に帰ってきて、一息ついたら、
なんだかとんでもないことになってしまった気がして、
ひとりで落ち着かずに、熟睡できない夜(※)を過ごしました。
(※寝れないほどではない。笑 しかし落ち着かなくて目が覚めたりするやつ。)
それまでは、親に話すこと自体が最難関のラスボス戦だと思っていたので、それが大丈夫そうだったというのはこのうえなくありがたくて喜ばしいことなのですが、そうすると、これからのその後のことに一気に意識がフォーカスしてしまって、心配やら不安やら混乱やらがつぎつぎと、浮かんできました。。。
そんな感じで今日は落ち着きなく、でもぐったりしながら過ごしていたのですが、今日は彼が来てくれる日でした。
彼に会って、一連の成り行きと、現在の自分の心配やら不安やら混乱やらをつれづれなるままにもはや徒然草の作者もびっくりするんじゃないかと思うぐらいにつらつらと話しました。
彼は話を聞きながら、そしてそのあとも、「大丈夫だよ」「ぜったい上手くいくよ」と何度もゆりぼうに言ってくれました。
…当たり前ですが、
「大丈夫だよ」という言葉自体で、物事や事態が突然変化したりはしません。
けれど、「大丈夫だよ」という言葉を何度もかけてもらい、きちんと話をきいて受け止めてもらって、さらに「きっとうまくいくよ」と励ましてもらうと、本当に大丈夫かもしれない、と思えてくるのが人間なんでしょうか。
もちろん、物事や事態は変化しないのです。
でも、「それらに対する自分の捉え方」が変わることがあります。
つまり、物事に対する意識が、「不安」から「大丈夫かも」になるのです。
これで、人はずいぶん救われるのだと思います。
「大丈夫だよ」という言葉自体は、世の中にも日常にもはびこっていますが、自分のことを大切にしてくれる相手が、自分のためを想ってかけてくれる「大丈夫だよ」という言葉には、ある種のパワーだったり、特別なあたたかさが含まれている、とゆりぼうは思います。
それをくれるのは、恋人かもしれないし、友達かもしれないし、親かもしれません。
誰であっても、あなたのために「大丈夫だよ」と言ってくれる人の存在は、かけがえのないものです。
そして、そんな人の存在が、人生の支えになることがあります。
そんな人がいてくれることに感謝し、同時に自分も、誰かのそんな存在でありたいと、思うゆりぼうでした。
お読みいただきありがとうございました!
明日から出張です!!行ってきます~~~!!