7つの肩書きで自分らしく生きてこう★虹いろココット

やりたいこと、欲しいもの、ワクワクする夢。ぜんぶココットのお鍋に入れて。そっと火にかければ、きっと綺麗な虹色になる。

飲み会で解放される心の中の衝動とは

 

 

わたしの前職の社長は、飲み会で酔っぱらうと、帰りにCDを衝動買いする人だった。

 

翌朝になると、いっぱい積まれたCDを目にして「ああ、またやってしまった。でもまあ、いいよね…」となるそうだ。

 

 単なる「衝動買い」というだけの話ならまだしも、「飲み会の後」というのがなんだかタチが悪い。

「衝動買い」と聞くと、「本当は不要なモノなのに、つい勢いでいっぱい買ってしまった」という言葉の解釈が一般的だが、「飲み会の後」というあたり、「不要なモノ」というよりは「いつもは心の中で我慢しているモノ」を買ったのではないかと思う。

 

「飲み会」というイベントは、良くも悪くも色々なモノ・コト・ヒトを、実にさまざまな方向性に開放している気がする。

 

解放された「それら」は、飲み会中にバンバン発散されるとスッキリとした気持ちで帰宅できるが、解放されただけで発散しきれないと、帰り道に胸の中で騒ぎだして、思わぬ道へと人を誘惑する。

 

その結果が深夜の衝動買い、ラーメン、家に帰りたくなくなる症候群、特に目的も無いの夜遊び、一夜のアバンチュール、に発展するのではないだろうか。

 

わたしにも、飲み会の後、なぜか無性に家に帰りたくなくなることが、以前あった。

そのときは今から考えても明らかに、「何か」が著しく不足しているのである。

欠乏症か、もはや欠落か。とにかく、「不足しているそれ」を埋めたくて仕方なかったのだ。

 

そしてわたしが今日の飲み会帰りに買ったのはこれである。もんもんとしながら、でも真っすぐにブックオフに向かい、一直線にこの本を手に取るあたり、なにかおさえられていた「衝動」のフタがゆるくなっているのだろうか。

 

 

 

 

 

これを衝動買いすることが、一体わたしの中の「何の不足」をあらわしているのか。

さっぱりわからんと言えばその通りだし、わかりやすすぎるといえば、その通りである。

 

そういえば社長は何のCDを買っていたのだろう。

彼は音楽を愛していたが、どんな曲が好きだったのか、わたしにはもうさっぱり思い出せない。