7つの肩書きで自分らしく生きてこう★虹いろココット

やりたいこと、欲しいもの、ワクワクする夢。ぜんぶココットのお鍋に入れて。そっと火にかければ、きっと綺麗な虹色になる。

「許せない」という感情の正体

「人を責めたくなるのは、きっと、ゆりぼうがいつも自分を責めているからだね」

 

 

そう、彼に言われて、なんだかひどく腑に落ちた感じがした。

 

 

 

 

 

 

わたしは他者に対して「どうして〇〇しないの?信じられない」と腹を立てることが多い。

 

 

わたしはちゃんとやってるのに。

わたしは頑張ってるのに。

 

なのに、あの人はどうしてそんないい加減が許されるの?信じられない。

 

 

 

 

みたいなやつである。

 

 

そういう心理が、少し歪んでいるものだと自分でもわかっていて。

 

 

心理学の本とかではよく、「相手を許せない」と思うのは、自分が我慢していることを相手がやってるから。みたいなことが言われています。つまり、相手がうらやましいってこと。

 

そんな話を読んでから、てっきり「わたしはテキトーに生きてる人がうらやましいのかな?自分ももっとテキトーに生きたいのかな?」と思っていました。

 

 

でもね、誰かに腹が立った時に、そのことを自問自答してみても、どうも「羨ましい」とは思ってない感じがしてた。

 

なんだか、ちょっと違う。

「テキトーに生きたい」と思ってるわけではない。

 

 

もっと、別の何か。感情が。

 

 

そんな疑問を持ちながらしばらくやってきた。

 

でも、今日、冒頭の言葉をいわれて、よくわかった。

 

「ああ、わたしはいつも自分を責めてるのか。だから、自分のことを責めないで生きてる人が、きっとうらやましいんだな。」と。

 

 

結局は「うらやましい」に変換してみるとわかりやすい。

 

「テキトーに生きる人がうらやましい」と「自分を責めないで生きれる人がうらやましい」は、似てるようで全然違う。

 

後者の答えが、わたしにはずっと、見つからなかったみたい。

 

 

 

わたしは、もうずいぶん前から。

自分を許す旅を、きっとしてる。

 

 

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