「許せない」という感情の正体
「人を責めたくなるのは、きっと、ゆりぼうがいつも自分を責めているからだね」
そう、彼に言われて、なんだかひどく腑に落ちた感じがした。
わたしは他者に対して「どうして〇〇しないの?信じられない」と腹を立てることが多い。
わたしはちゃんとやってるのに。
わたしは頑張ってるのに。
なのに、あの人はどうしてそんないい加減が許されるの?信じられない。
みたいなやつである。
そういう心理が、少し歪んでいるものだと自分でもわかっていて。
心理学の本とかではよく、「相手を許せない」と思うのは、自分が我慢していることを相手がやってるから。みたいなことが言われています。つまり、相手がうらやましいってこと。
そんな話を読んでから、てっきり「わたしはテキトーに生きてる人がうらやましいのかな?自分ももっとテキトーに生きたいのかな?」と思っていました。
でもね、誰かに腹が立った時に、そのことを自問自答してみても、どうも「羨ましい」とは思ってない感じがしてた。
なんだか、ちょっと違う。
「テキトーに生きたい」と思ってるわけではない。
もっと、別の何か。感情が。
そんな疑問を持ちながらしばらくやってきた。
でも、今日、冒頭の言葉をいわれて、よくわかった。
「ああ、わたしはいつも自分を責めてるのか。だから、自分のことを責めないで生きてる人が、きっとうらやましいんだな。」と。
結局は「うらやましい」に変換してみるとわかりやすい。
「テキトーに生きる人がうらやましい」と「自分を責めないで生きれる人がうらやましい」は、似てるようで全然違う。
後者の答えが、わたしにはずっと、見つからなかったみたい。
わたしは、もうずいぶん前から。
自分を許す旅を、きっとしてる。