なにを成し遂げたって、それができていなければ人生0点。
ハーイ、こんにちは!
ゆりぼうです。
さっそくですが昨日の続きからいきます。
自虐的でいるとどうなるか、自尊心が必要なのはなぜか、その育て方は…という話でした。
昨日の記事はこちら!
(1~2分で読めるかと思います)
ではGO!
●【自尊心の育て方】
自尊心の育て方は、大きくわけて2つです。
●今ある「自尊心を傷つける習慣」を少しでも減らす
●「自分を認め、大切にする気持ち」をちょっとずつでも育てていく
この2つです。
どちらかというと、Aが進まないとBも進みにくいかとは思います。
詳しく見ていきましょう。
まずAから!
●今ある「自尊心を傷つける習慣」を少しでも減らす
昨日の記事で、自虐的/自責的だったり、自尊心がない人は、何をやっても以下のような傾向だということを書きました。
●なにか起きるたびに、自分のせいだと責める
●なにか褒められるたびに、それはお世辞で自分にはそんな価値がないと卑下する
●なにかするたびに、自分はこんなにもできないのかと、悲しくなる
●誰かと関わるたびに、自分なんかと一緒にいてもらって悪いと考える
まずは、上のこの苦しいやつの頻度を少しでも、そして、1つでも多く、消していくのです。
そのためにやれることは、まず、
①自分がそういう感覚になっていることに、まず気づく
②これらの感覚は、自分にとって一ミリもメリットにならないことをよく自覚する
です。
まずはここからです。
たぶん、少し意識すればすぐにでも、「あっ、自分はいままさにそんな状態になった」と気づくことができると思います。
そして、それをしても自分の人生には何のプラスにもならないことを、はっきりと理解しましょう。
昔のゆりぼうは、すでにここからつまずいていました。
昔のゆりぼうは超がつくほどの完璧主義者。
「自分を責めなくなったら、途端に怠けてしまい、成長が止まる」と思っていたのです。
今思うと、完全にどMでしょうか。
当時はそれを信じていましたが、結論から言えば、全くそうではありませんでした。
たしかに、「自分はまだまだダメだ」と考えて、自分を追い込んでなにかを成し遂げたり、成長できたりすることはあります。
試験勉強など、長い人生の中で見た時に「一時期的なモノ」ならそれでもかまわないでしょう。
でも、いつもいつもそんなような自責思考では、長期的に見て非常によろしくないのです。
それは、たとえるなら疲れて走れなくなった馬に、エサも水も休憩も与えず、ムチを打ち続けるようなもの。
もちろん、馬にきちんと食事と休息を与える方が、効率よく走れるし、長生きできそうだということは、みなさん分かるかと思います。
でも、馬で考えればわかるのに、その対象が自分になった瞬間、そういう考えが出来なくなるのが自尊心の低い人。
馬の話は理解できても、
「いや、でも私の場合はダメだから…」
「それは甘えだから…」
「自分はエサとかもらう資格もないから…」
みたいな!!
自分のことになった瞬間、話が適用できない。
つまり、自分に対して、肯定的な態度をとることができないのです。
これはマジックかなにかかよ…!、と昔の自分にツッコミたい。
そういう、昔のゆりぼうみたいな方々がもしいらっしゃいましたら、いいですか。
それは馬に対しては虐待です。OK?
つまり、自分に対して毎度、虐待してることになります。
これは、よく考えてみたら、わかる話でもあります。
あなたの人生の主役は、あなたです。
これは、詩的なセリフでもなんでもなく、
あなたが、ひとつの生き物として生きていこうとするとき、それを主観的に経験できるのは、他のどの生き物でもなく、あなたしかいないということです。
つまり、自己中がどうだとかモラルがどうとかいう考えを取りはらって、ひとつの生き物の個体として考えたとき、
あなたという生き物の人生は、あなたという個体が、どれだけより良く、その人生を過ごせたかどうかなのです。
人生をどう生きれば「より良い」と言えるのかは、ここでは議論しませんが、
少なくても、あなたが毎日憂鬱で、自信もなく自虐的になりながら生きているよりは、
自分に対して肯定的な気持ちで毎日過ごす方が、いいはずです。
極端な話、
誰にも認めてもらえなくても、自分だけは自分のことを認めてあげる
のと、
誰にも認めてもらえてるけど、自分だけは自分を許せない・責めている
のは、
どちらがいいと思いますか?
ゆりぼうの人生は、つい最近まで、後者でした。完ぺき主義だったのでたいていのことでは成果を出します。人からも認められ、うらやまれることもありました。
でも、自分の心はいつだってカラカラに乾いて、ボロボロでした。
何をどこまでやっても、何を手に入れても満たされなくて、もうあとは何を一体どうすればよいのか途方に暮れて、ひたすら苦しかったです。
でもそこで気づきました。
なにかすごいことを成し遂げても、
誰かに認められても、
多くのものを手に入れても、
自分が自分のことを認めてあげられてないと、わたしの人生的には0点なんだ、ということが、わかりました。
つまり、わたしは色んなことを頑張って成し遂げてきたように見えて、ずっと自分に虐待をしてきたということでした。
それに気づいたときは、哀しみと苦しさが溢れるようで、でも、それに気づくことができて安心できたような、とにかく強烈な感情だったことを覚えています。
話を戻しますと、自尊心がない、自分を認めてあげられないのは、自分に対しての虐待に等しいと、ゆりぼうは考えています。
だからこそ、
「それは自分の人生において、なにひとつプラスにならない。もう、やめるべきなんだ」と、自分で気づき、強く思うことが大切なのです。
長くなりましたので、今日はこの辺で。
また続きます!