7つの肩書きで自分らしく生きてこう★虹いろココット

やりたいこと、欲しいもの、ワクワクする夢。ぜんぶココットのお鍋に入れて。そっと火にかければ、きっと綺麗な虹色になる。

あなたの人生は我慢を覚えるための場所ではない

ハーイ、こんにちは!
ゆりぼうです。



数日前にも書いたのですが、

今日は初の接待の場に同席させて頂きました。

 


今回はみんなでワイワイという場ではなく、

一軒家のお店で少人数でひっそりと行われる、

とても濃い感じの会でした。

 


守秘義務的なアレがあるので、

お会いした方や詳しい内容については書けませんが、

 

 


今回の場を通して、

ゆりぼうは強く想ったことがあります。

 

 

 

それは、


自分の中の、

みんなと違うところ、

みんなと同じにできないところ

みんなと共にできないところ

 


は、

 

一見すると異端で、

生きづらいように思いがちなのですが、

 

 


それを自分自身で

「自分の価値だ」と捉えていくことが、

 


なにより自分の人生で必要なのだと、

強く感じました。

 

 

 

それは、自分に対してもそう思うし、

今日お話をきかせていただいた方の、

人生のエピソードを聞いても、そう思いました。

 

 

詳細が書けないので

抽象的な話にはなってしまいますが、

 

 

きっと、多くの人には

「みんなとどうしても違うところ」があるはずです。

 

 

 

 

そして、その「みんなとどうしても違うところ」を、

 

人よりちょっと多く持っている人や、

人よりちょっと目立つ部分で持っている人は、

 

 

 

それを抱えて、

 

 

時にはバカにされながら、時には妬まれながら、

時には疎まれながら、時には仲間外れにされながら、

 

 

生きています。

 

 

 


でも、その自分の違うところを

上記の言葉通りに受け止めて生きていくと、

やはり辛いのです。

 

 

強く、強く、頑張ってきても、

割り切れない苦しさや悲しさが、

どこかであふれ出ることがあります。

 

 

 

そこで、ゆりぼうは思いました。

できていない自分のことも含め、思いました。

 

 

 

それは、

なんてもったいないことだろう、と。

 

 

 

人と違うと、すぐに悪目立ちして、

妬んだり笑ったりする環境が、日本には少なからずあります。

 

 

でも、その苦しさをいつも我慢しながら、

なんとか周りの空気を読んで、

なんとかうまく合わせていくことは、

 

 

自分の人生にとって、

価値のあることなのでしょうか?

 

 

(※もちろん最低限の社会適応力は必要)

 

 

 

ゆりぼうは、今の会社に転職して、

「変わっている」と言われることが多くなりました。

 

 

逆にゆりぼう的には、今まで経験した会社の中でも、

ここはずいぶん世界が狭いところなんだなぁ

という感じで、

 

そういう環境で生きてる人にはアレコレ思ってもしゃーないなとは、思っています。

 

 

でも、

 

やっぱり、

 

 

「変わってる」って言葉、

ちょっと失礼じゃないですか?

 

 

 

普通、そういうの、

あんまり親しくない人に言ったりするのかな?

 

 

とか、

 

自分が無知なものに対しては

「変わってる」という言葉でしか評価できないのかな?

(ある範囲内しか測定できないポンコツ機械みたいな)

 

 

とか、思ったりします。

 

 

 

まあ、その辺は以下の記事の内容になってくるので、

ここではあまり詳しく書きませんが、

 

start-mylife.hatenablog.com

 

 

 

 とりあえず、

何が言いたいかと言うと、

 

 

 

「変わっている」とか言われるのも、

 

そういう扱いを受けることがあるのも、

 

 

 

やっぱりちょっと傷つくんです。。。

 

 

 

 

 

でも、それってよく考えたら

 

ほんとにほんとにバカバカしいな

 

って、気づきました。

 

 

 

なんで、視野も人間関係も狭い

無知の知の境地みたいなおバカさん達

言葉で、傷つかないといけないのか?

 

 

それは、もちろんゆりぼうが勝手に傷ついてしまうからなのですが、

それって本当にバカバカしいですよね。

 

 

 

そこで今回思ったのは、

 

輝いている人ってたぶん、

自分自身に「価値」を見出せるようになった人なんだな、

 

 

ということ。

 

 

 

成功していそうに見える人だって、

イケイケで世を騒がす有名人だって、

 

 

私が知らないだけで、

 

話を聞いてみれば、人と違ってすごく苦労した過去とか、

どうしようもなくみんなと違っている部分とかを、

持っているんだって、知りました。

 

 

その「どうしようもない違い」から、

いつしか「自分の価値」を見出して、

自分を輝かせていったんだなって、思いました。

 

 

 

だから、

ゆりぼうは信じてみようと思います。

 

 

 

「誰かと違うこと」は

自分次第で「価値」になると。

 

 

 

だって、

 

人生は、

我慢を覚えるための場所ではないはず。

 

 

自分に価値を見出して、

それを輝かせるためのものです。

 

 

そりゃ、

人間は社会で暮らす生き物なので、

最低限のルールや社会適応力は、当然必要です。

 

 

でも、個性による違いは、

誰からもバカにされる筋合いはないし、

 

そんなことをしてくる失礼な連中と関わってる

無駄な時間と体力は、

 

わたしの人生にも、あなたの人生にも、ないはず。

 

 

 

 だから、もし、そういうことを言われたら、

 

「これはチャンスだ。これはフラグだ。」

 

と捉えてみようと思う。

 

 

 

自分に対して「変わってるね」と言われたことを、

どう転じれば、どこでどう活かせば、

価値が見出せるのか。

 

 

 

失礼なことを言われる瞬間は、

それを考えるための、感じ取るための、

最高の伏線だと、信じてみたい。

 

 

 

今日は、そんなことを考えながら、

帰り道を歩いていました。

 

 

 

ゆりぼうは、少しずつでもいいから、

前を向いて、顔を上げて、

自分の人生を進んでみたいのです。

 

 

 

 

いつも お読みいただきありがとうございます^^

またね!

 

 

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