突然のスイートルーム
こんにちは、ゆりぼうです。
母と近場に一泊旅行に来ています。
リゾートホテルでご飯と温泉をのんびり楽しむつもりできました。
すると、なんと予約していたわけではないのに、スイートルームに通してもらえました…!!
予約では違う部屋だったのですが、スイートにたまたま空きが出たことと、過去に宿泊の記録があったからということで、サービスで変更いただけたとのことです。びっくり!!!
最上階のオーシャンビューの中でもめちゃめちゃ景色がよい部屋で、メインルームとは別にもうひとつ大きな部屋がついていて、超ゴージャスすぎてはしゃいでいます。笑
ここのホテルには三面オーシャンビューのすごく気持ちのいいパーラーがあるのですが、それに負けないくらいいい感じでもう部屋から出る必要ないっていうレベル…!
お盆はじめにさっそくいいことがあり嬉しい1日でした♪
もっと楽しいことを増やしていきたいな〜!!
お読みいただきありがとうございました!
「好き」が増えると嬉しい
わたしは、
丸亀うどんより、はなまるうどんが好き。
ズボンより、スカートが好き。
電子書籍より、紙の本が好き。
スタバより、タリーズが好き。
…
だけど、本当は両方好きだったら、もっと楽しい!
ズボンも、スカートも好き。
電子書籍もいいけど、紙の本も好き。
スタバもタリーズもどっちも大好き。
なにかを比較して「好き」を決めるのは楽しい。
でも、比較した後に「やっぱりどっちも好きだなぁ」だったらもっと素敵。
…ただし丸亀、お前はダメだ。
わたしにははなまるうどんという唯一無二の存在がいるんでな。アデュー!
というわけで、皆さんも、好きなものを探して、増やしてみてくださいね~!
お読みいただきありがとうございました!
「誰かを救いたい」という強い感情の正体
「誰かを救いたい」
「つらい気持ちから解放してあげたい」
そんな気持ちになることは、ありますか。
わたしには、よくありました。
自分のやったことや言ったことで、誰かが救われたら。
つらい気持ちを、ちょっとでも楽にしてあげることが、できるなら。
それはわたしにとって、心から嬉しいことだったし、自分にそれができるんなら、どうにかしてそれをするべきだ、と思っていました。
そして、それが本当にできた時は、とても誇らしい気持ちになる。
「自分にしかできないんじゃないか」とまではいかなくても、「これがわたしのやるべきことなんじゃないか、もっと多くの人を救いたい」ぐらいには思ってました。
そう。
「思ってました」という、過去形です。
いまのわたしは、どちらかというと、思ってません。
いまのわたしと、昔のわたしの違いはなにか。
ひとことで言うなら、
昔のわたしは、自分が救われたかったのです。
必死になって誰かを救いまくってる中、気持ちの根っこの部分では、自分自身が誰よりも「救い」を必要としていました。
そう、「自分がこんなにいろんな人を救っているのだから、きっとわたしのことも、誰かが救ってくれるよね」という想いが、きっとあったのだと思います。
それぐらい「誰かを救うこと」に必死になってた気がする。
それを必死に背負おうと、してた気がする。
いつか、自分も救ってほしくて。
・・・・
わたしは、そのあと、救われました。
わたしを長年縛っていたものから、救われました。
それは、「誰が救ってくれた」というには、難しいものだったけれど。
とにかく、救われて、
でも、そしたら、「救いたい欲求」がなくなりました。
もちろん、いまでも、
「誰かの役に立てたら嬉しい」とか「誰かを笑顔にできたら誇らしい」とは感じます。
でも、「笑顔にすること」と「救うこと」は似ているようで、違います。
当時の私には、きっと「笑顔にすること」では納得できませんでした。
「そうではなくて、笑顔なんて余裕のあるものではなくて、もっとつらい状況の人の、気持ちを楽にしてあげるの・・・」ぐらいに、言いそうです。
完全に、「誰かを救うこと」に執着しています。
きっと、こんな状態では、「自分自身が救いを求めているサイン」だと、今ならわかります。
だからもし、あなたも。
昔のゆりぼうと同じように感じることが、多いなら。
まずはなにより自分の心に、耳を傾けてあげてみてくださいね。
きっと、そこからがスタートです。
お読みいただきありがとうございました。
大人が熱だすと子供時代より俄然つらくないですか?
こんにちは、風邪で倒れているゆりぼうです。
今日は午前中だけ会社に行って、午後休とって病院行きました。肩や腰など、カラダの節々が痛くて、とにかくダルい。もうとんでもないほどダルいわけです。
あまりにダルいので、先生に聞いてみました。
ゆ「熱もそんなにないのに死ぬほどダルいんですが、どうしてでしょうか?」
先「38度近く熱があれば誰でもダルいです」
ゆ「それって熱あるうちに入るんですか?39.8の時よりはだいぶマシですけど…」
先「39.8のときと比べないでください。38度はじゅうぶん高いです」
ゆ「(うそん)」
…思ったのも、ゆりぼうは2年ぐらい前に39.8の超高熱の腸炎で苦しんだ経験があり、あのときは家の前までタクシーを呼ぶのも命がけなレベルにマジやばかった。気が狂うほどの悪寒で全身が激しく震え、歯がガチガチとなって止まらず、1ヵ月寝込んだあの悪夢。。。
アレに比べると、正直「38度くらいで熱って言っちゃっていーんかな」感はある。とはいえ、38度でも仕事ができずに布団の中で苦しむには十分辛いのだが。。。
でも、思えば、子供の頃って熱に対してもっと強かった気がする。
本人は自覚ないけど、なんかテンション高いなと思ったら熱だったとかフツーにあったし、友達に至っては「39.8でもフツーにもののけ姫観てた」子もいた。
子供って熱に対して良い意味で鈍感なのかな?
大人になると37度ちょいの微熱でもダルくて仕方ないんだから、たまらない。。。
ところでゆりぼうはクソガチ熱ぽよなので明日はおそらく会社を休むのだが、漫画を読んだりアニメを見たり、そういった休息をできる余裕がほぼないくらいには本日も苦しかったのでそこは残念な限りである。
そういう楽しみは元気になってからするとしようか。
はやく元気になって、ずっと看病してくれてる彼にいろいろしてあげたい。。。
お読みいただきありがとうございました!
風邪はふだんの行いを反省する場かもね
こんにちは、風邪で倒れているゆりぼうです。
やりたいことがいっぱいですって書いた矢先にたおれるってどうなの、と内心思っていますがこれから走るためのパワーチャージ期間だと思いたい。そう思えばこんな一日お布団にへばりつくしかない自分を許せるかもしれない。
さて、風邪だったり具合が悪くなったりしたときにはやはりこの記事です。
自分で読み直しても、いろいろ気づきがある、お気に入りのエントリ。
https://start-mylife.hatenablog.com/entry/2018/12/06/223100
このときはまだ一人暮らしだったようですね。それでも彼に看病してもらってたことがよく伝わってきます。
いまは彼と一緒に住んでいますが、やはり優しく面倒をみてくれました。ゆりぼうの風邪のせいで三連休が潰されてるというのに、嫌な顔ひとつせず。。
家事もぜんぶやってくれて、食事も毎回、栄養があって食べやすいものを作ってくれました。
こういうとき、優しさに涙が出そうになります。それと同時に、自分にはこんなふうな優しさや心の広さがあるだろうかと、恥ずかしくなります。
実家では、風邪だからといってなにか食べやすいものが出てくることはあまり無かった気がします。
ふだんの食事の中で、食べられるなら食べて、食べられないならおわり、という感じでした。
だから、当然のようにおかゆを作ってくれたり、やわらかい野菜のおうどんを作ってもらうことに、驚きを感じて、同時に感謝の気持ちでいっぱいになります。
もしかしたら、風邪は、大切な人への感謝を思い出すきっかけであると同時に、自分のふだんの行いの反省の場でもあるのかもしれません。
そんなこんなの、寝込み生活でした。
お読みいただきありがとうございました。
不安定な気候が続いておりますので、皆さんもお身体ご自愛くださいね!