7つの肩書きで自分らしく生きてこう★虹いろココット

やりたいこと、欲しいもの、ワクワクする夢。ぜんぶココットのお鍋に入れて。そっと火にかければ、きっと綺麗な虹色になる。

「誰かを救いたい」という強い感情の正体

 

「誰かを救いたい」

「つらい気持ちから解放してあげたい」

 

 

そんな気持ちになることは、ありますか。

わたしには、よくありました。

 

自分のやったことや言ったことで、誰かが救われたら。

つらい気持ちを、ちょっとでも楽にしてあげることが、できるなら。

 

それはわたしにとって、心から嬉しいことだったし、自分にそれができるんなら、どうにかしてそれをするべきだ、と思っていました。

 

そして、それが本当にできた時は、とても誇らしい気持ちになる。

 

「自分にしかできないんじゃないか」とまではいかなくても、「これがわたしのやるべきことなんじゃないか、もっと多くの人を救いたい」ぐらいには思ってました。

 

 

そう。

 

「思ってました」という、過去形です。

 

 

いまのわたしは、どちらかというと、思ってません。

 

 

 

いまのわたしと、昔のわたしの違いはなにか。

 

 

ひとことで言うなら、

 

昔のわたしは、自分が救われたかったのです。

 

 

必死になって誰かを救いまくってる中、気持ちの根っこの部分では、自分自身が誰よりも「救い」を必要としていました。

 

そう、「自分がこんなにいろんな人を救っているのだから、きっとわたしのことも、誰かが救ってくれるよね」という想いが、きっとあったのだと思います。

 

 

それぐらい「誰かを救うこと」に必死になってた気がする。

それを必死に背負おうと、してた気がする。

 

いつか、自分も救ってほしくて。

 

 

・・・・

 

 

わたしは、そのあと、救われました。

 

わたしを長年縛っていたものから、救われました。

 

 

それは、「誰が救ってくれた」というには、難しいものだったけれど。

 

とにかく、救われて、

でも、そしたら、「救いたい欲求」がなくなりました。

 

 

もちろん、いまでも、

「誰かの役に立てたら嬉しい」とか「誰かを笑顔にできたら誇らしい」とは感じます。

 

でも、「笑顔にすること」と「救うこと」は似ているようで、違います。

 

 

当時の私には、きっと「笑顔にすること」では納得できませんでした。

 

 

「そうではなくて、笑顔なんて余裕のあるものではなくて、もっとつらい状況の人の、気持ちを楽にしてあげるの・・・」ぐらいに、言いそうです。

 

 

完全に、「誰かを救うこと」に執着しています。

きっと、こんな状態では、「自分自身が救いを求めているサイン」だと、今ならわかります。

 

 

だからもし、あなたも。

昔のゆりぼうと同じように感じることが、多いなら。

 

 

まずはなにより自分の心に、耳を傾けてあげてみてくださいね。

 

 

きっと、そこからがスタートです。

 

 

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お読みいただきありがとうございました。