7つの肩書きで自分らしく生きてこう★虹いろココット

やりたいこと、欲しいもの、ワクワクする夢。ぜんぶココットのお鍋に入れて。そっと火にかければ、きっと綺麗な虹色になる。

愛か家事か

ハーイ、こんにちは!

ゆりぼうです。

 

 

 

ぼく…家事が爆発…\(^o^)/

 

 

※火事ではありません、家事です。

 

 

 

家事がたまりすぎて部屋が爆発…というより、

家事ができてなくてゆりぼうが爆発…という感じですね。

 

※火事ではありません、家事です。

 

 

さて、この2つは何が違うのか?

 

 

 

家事をたまりにためて、汚部屋になっているのではなく、

家事を最低限まわして、ある程度きちんと生活できているけど、

 

 

雑に最低限やっていたのが積み重なって、

地味にゴチャゴチャしてきたし、

ちょっとした汚れや乱雑さが蓄積して、

 

 

精神衛生的に、だんだんだん…悪くなってきた感じ。

 

 

 

そんで爆発。

部屋じゃねえ、爆発したのはあたいさ。

 

 

 

「なんか…なんか汚くないーー!??」

 

 

「もう限界だ、いますぐ不要なモノを捨てまくって、すみずみまで掃除したい…キシャァアア!!」

 

 

みたいな。

 

 

 

そしてゆりぼうは夜遅いというのに静かに作業を開始したのだ…。

 

 

ゆりぼうが感じた「汚さ・乱雑さ」。

 実はそれは、ちょっとしたことの集まり。

 

 

ゆりぼうはそのあと、

 

掃除機をかけ、姿見の鏡を磨き、キッチンの側面を拭き、キッチンの下にひいてあるマットについた調理汚れを落とし、ガスコンロを磨き、キッチンパネルを拭き、スポンジ置き場やハンドソープの底を磨き、台所水栓を磨き、夏物の手洗い洗濯物を色落ちするものとしないものにきちんと分け、片方のグループを洗った。さらに網戸に油をさし、朝顔の手入れをし、玄関付近にたまっていた紙袋を処分し、ゴミを出し、出しっぱなしのサンダルを収納し、玄関を拭き、靴を揃えた。

 

 

読み終わったけどログが書けてない本はとりあえず本棚にしまい、床面積を広げた。

ぬいぐるみやら本やらタオルケットやらで床面積が狭くなりすぎるのも、部屋を狭く見せてしまっているのだとわかった。

 

 

そう、なんのことはない。

 

日常でやならくても、問題なさそうな家事ばかりである。

 

 

 

 

でも、これがちょっとずつたまっていって、

それが自分でもあまりわからなかったけど、

部屋に帰るとなんだかイライラしたり、落ち着かないことが多かった。

 

だんだんだん、そうなっていった。

 

 

だから、やはり家事をやる時間というのは、必要なのだ。

 

 

ただし、最低限の家事とは別だ。

 

 

 

部屋を、家具を、家電を。

 

そしてなにより自分が暮らす「空間」を、

きちんと「お手入れ」する時間が必要なのだ。

 

 

ゆりぼうは、土日はほとんど彼の家にいる事が多い。

 

フリーの時は良かったものの、

仕事をはじめてからというもの、

ゆりぼうの家では本当に最低限のことしかやっていなかった。

 

 

彼の家では洗濯物や洗い物や料理を手伝うことが多い。

ゆりぼうはそれらを自発的にやっている。

 

これは何か見返りを求めているわけではなく、

単純に二人でやった方が早く済むからやっている。

 

 

 

でも、忘れてはいけない。

 

 

彼の家でどれだけ家事をした気になっていても、自分の家は1ミリもお手入れされていないのだ。

 

 

これは彼に文句を言っているわけでもなければ、彼の家の家事をしてしまったことを嘆いているわけでもない。

 

 

ただ、

自分が一番お手入れすべき存在を忘れてはならないという、気づきと自戒である。

 

 

彼の家で過ごすと幸せで、家事を手伝うとさらに関係は良くなる。

 

けど、ずっとそれだけではやがてゆりぼうの家は乱雑になり、

それを日々見て過ごす自分の心はすさみ、ストレスが溜まり、

心に余裕がなくなり、大切なものにあたってしまう。

 

 

 

一見すると、家事より愛の方が偉大かもしれない。

 

愛があれば問題を乗り越えられる、つらいことがあっても支えになる。

 

 

でも、だからといってずっと愛だけを大切にしていると、自分のまわりがだんだん壊滅してくる。

 

 

そう。だから、実は愛より、

家事が偉大なのだ。

 

 

…とは言わない!!!!!!

 

 

 

 

要するに、自分にも愛が必要なのだ。

 

 

そういうことでしょ。

 

 

 

 

おしまい。

 

 

 

「会社辞めたい」の種類

「会社辞めたい」の種類

 

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(ハラスメントがつらすぎて)会社辞めたい

(仕事が終わらなすぎて)会社辞めたい

(心身共に負担が大きすぎて)会社辞めたい

(労働環境があまにも過酷すぎて)会社辞めたい

(休みがぜんぜん取れなくて)会社辞めたい

(給料が下がる一方で)会社辞めたい

 

 

(休み明けでしんどいから)会社辞めたい

(どうしても嫌な人がいて)会社辞めたい

(怒られてばかりなので)会社辞めたい

(異動が嫌すぎて)会社辞めたい

(どんどん人が辞めていくから自分も)会社辞めたい

(社会人するのに合ってないから)会社辞めたい

(この会社飽きたから)会社辞め(て他に転職し)たい

 

 

(将来のキャリアを考えて)会社辞め(て他に転職し)たい

(やりたいことがあるから)会社辞めた(てそれにチャレンジし)たい

(心身共に休養する期間がほしいから)会社辞め(てゆっくり休み)たい

(誰かの下で働くのがくだらなくなったから)会社辞め(て独立し)たい

 

 

…個人的な分類だけど、

 

 

一番上のブロックは、とりあえず辞めて逃げてしまってもいいやつだと思っている。

 

 

 

 

 

二番目のブロックは、

外的要因と言うより、「自分主体で感じているモノ」が多いから、なにか努力して変えられるものがあれば、やってみると良いよね。

 

あとは、

「それで、そしたらその後どうしたいか」が明確になればOKじゃない?

 

 

 

 

 

三番目のブロックは、いいぞもっとやれ!!どんどんやれ!!

 

 

10か月離職してたゆりぼうとしては、休養もチャレンジも、同じぐらいに自分の糧になると思うよ!!

 

 

 

 

さて、あなたはどれでしたか^^?

 

 

ちなみにゆりぼうは昔は①と⑪でしたが、今は⑰です。

(誰かの下で働くのがくだらなくなったから)会社辞め(て独立し)よう、

を胸に秘め、頑張っていくぞ~~~~!!

 

 

お読みいただきありがとうございました!

 

 

「自分の現実は自分自身で選んだもの」を身をもって理解するための3つのポイント

 

「今の自分の現実は自分自身で選んだもの」っていう意味の言葉、よく目にしませんか。

 

スピリチュアルな本だっだり、成功者が書いてる自己啓発本だったり、心理学の本だったり、載っているものはいろいろですが。

 

ゆりぼうは心理学系の本を一時期読んでいたときがあったせいか、その頃からこの言葉に対してアンテナが張られているようで、色んな所でたびたび目にする気がします。

 

 

それにしてもこの言葉、

最初の頃は納得できませんでした。

 

特に、理不尽な状況や望んでない場面に遭遇すると、

「ほらやっぱり…こんなの望むわけないじゃない…」と。

 

 

でも、時が経ち、それから色々なことがあって、

今では少しわかる気がするんです。

 

自分の現実は、自分が望んだものなんだと。

 

自分の中でどう納得できたかを説明することは、まだ難しいのですが(というかまだ納得しきっていはいない)、

 

以下のことがポイントになっている気はします。

 

①物事の良し悪しを短期的な目線で見なくなった

 

②「なぜそれを望んでいるか」という理由に関しては、無自覚なものも存在すると知った

 

③ずいぶん昔に望んでいたものも思い出すと、意外とそうだったことに気づいた

 

 

この3つは完全に別々のものではなく、それぞれに関係している部分もあります。

 

たとえば、

①の「物事の良し悪しを短期的な目線で見なくなった」というのは、言葉通りの意味で、

悪いことや望まないことが起こっても、

 

「このイベントの発生自体が、次の成功ルートを開くために踏まなきゃいけない作業なのかもしれない」

 

と思えば、一概にその場で「良し悪し」を判断しなくてもよくなりました。(RPGのゲーム的な考え方かもw)

 

そして、そう思うことによって、

②「なぜそれを望んでいるか」という理由に関しては、無自覚なものも存在すると知った

 

というのもあります。

 

先ほどの話のように、次の成功ルートを開くために必要な道なら、自分自身でそれを「必要としている」はずです。

 

たとえそれが、短絡的に判断すると「望んでいない」ように見えるものでも、です。

 

そして最後の

③ずいぶん昔に望んでいたものも思い出すと、意外とそうだったことに気づいた

ですが、

 

これは過去に一度強く望んだり、考えていたけど忘れたもの

を指します。

 

自分の表面的な意識では、もう忘れていますが、

以前に強く望んだこと・考えたことは「無意識の領域」に保存され続けているらしいので、消えることなく存在し続けます。

 

そうすると、それが時が経っていざ現実に出てくると、「わたし今そんなの望んでないけど!?」みたいなことにもなりえるのです。

 

これも、講義的な意味では②に含まれる気がします。

 

 

そんなこんなで、この3つを自分で理解し、自覚的に感じるようになってから、わたしは冒頭のこの言葉「今の自分の現実は自分自身で選んだもの」を身をもって理解できるようになってきました。

 

この言葉をご存じで、けど自分の中で納得しきれていなかった、という人は、ぜひこれをヒントにしてみてもらえると嬉しいです!

 

今日もお読みいただきありがとうございました♡

 

 

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ホームで電車にすり抜けられても何ともないけどマンモスだったら腰を抜かすんじゃないかなって。

ハーイ、こんにちは!

ゆりぼうです。

 

 

突然ですけど、電車のホームを歩くときって怖くないですか?

 

 

コイツ何言ってんだwww超チキンかよwww

と思われるかもしれませんが、待って!そうじゃないんだお!

 

 

 

ゆりぼうも少し前まで何も気にしないタイプでした。

電車が来るときも来てないときも、ホームの白線の上とかを平気でホイホイ歩いていた

のですが、あるとき、ふと思ったのです。

 

 

 

 

「あ、これあと50㎝、自分の座標がズレてたらはねられてるのか。」と。

 

 

 

たとえば電車がホームに入ってくるときなんか、ホームの外側をギリギリで歩いてたりすると、自分のすぐ横を電車がすり抜けたりしますよね。

 

そとのき風圧を感じたりするけど、そんなの慣れっこになってます。

 

 

でもね、これ。

 

 

自分の横をすり抜けてる来るのが電車ではなくて、

同じ速度で走ってるマンモスの群れとかだったから、超怖いと思うんだよね。

 

 

 

ていうか、ゆりぼうはたぶん腰抜かすwwww

 

 

 

電車とマンモスの違いは何か。

 

 

 

端的に言えば、わかりきっているものと、そうでないものでしょうか。

 

 

電車に対しては、ホームから離脱して自分のところに飛んでくる可能性が無いと、わたしたちは思い込んでます。実際に線路とホームがあって、それの通りに電車がくると、「わかりきって」います。

 

 

対してそれがマンモスに変わると、どんな風に走ってきてもおかしくないわけで、たとえマンモスの進行方向と自分の歩いているルートに50㎝ぐらいの距離があったって、なんの安心素材にもならないでしょう。

 

 

つまり、「電車は既定の座標を超えない」と思い込んでいるからこそ、私たちはホームのギリギリのところでも、平然と歩くことができます。

 

自分のすぐ50㎝隣を電車が入ってこようと、出ていこうと、必要以上に意識しません。

 

 

でも、考えてみたら結構こわいものなんだな~~って。

 

 

電車って、停車と発進と通過でもだいぶ速度が違うだろうけど、

だいたい時速数十キロあるわけじゃないですか。

 

 

 

それが真横をすり抜けてるんですよ。

超怖いし、超危ないわ。

 

 

 

マンモスにしてみたのは、その恐怖がちょっとでもイメージしやすいかなって思いました。

 

 

 

さっきも書いたけど、電車は、電車の通るべき座標を間違えません。

 

 

それは、ホームと線路がきっちり作ってあって、必ずそこだけを通るように駅が作られているからです。

 

 

 

でも、自分はどうでしょうか?

 

 

 

ホームの端を、ぽてぽてと歩いている「自分の座標」は?

 

 

 

 

転んだり、誰かにぶつかられてしまったら。

 

 

自分の座標は、いともカンタンに数十センチ、動いてしまいます。

 

 

 

 

それが、電車が来るタイミングだったら。

たった数十センチの座標の変化で、何が起きるかわかりません。

 

 

 

物体の座標なんて、かんたんに動いてしまいます。

生き物だったら歩いてたら変わるし、

風や水の流れ、エネルギーの変換、実に様々な要素で物体の座標はころころ変わります。

 

 

 

だから、慣れきってしまってる座標だって、変わらない保証はないんです。

たった数十センチなんて、すぐに変わってしまうかもしれないよ。

 

 

 

 

 

 

…と言う話を、彼にしました。

 

 

 

そして話の最後に、

「…っていうの考えてさ…まあ、わたしが座標萌えする人間だからかもなんだけど…座標って、美しいよね…(※数学的な意味で)」

 

 

という一言をつけえたら、

 

 

「はああ…そう…。ダメだこの子…(※変態的な意味で)」

 

となってました。

 

 

彼はいつもわたしの話をよく聞いてくれますが、文系というものもあるし、さすがに理系の私が感じるような、感覚と直感に紐づいた数理系美学(?)は理解できないでしょうから、座標に対する美しさを理解できなくても、まあしょうがない!!!

 

 

しょうがないんですけど!!!

 

 

でも、

 

「あなたとの30㎝の座標の差を縮めるのは、なかなか大変だったんだけどね」

 

 

という言葉が、喉のところまで出かかりました。

 

 

 

でも、そうするとなんだか喜ばせそうなので、

 

それを言うかわりに、

 

「これで一記事書けそうだわw」と、ニヤケ顔で言っておきました。

 

 

それにも同様に「はああ」と思ってるんでしょうけど。

ま、わたしが知ってれば、それでいーわ!

 

 

 

 

おしまい!

 

 

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 ※キョトン顔のまんもすの図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【転職32日目】とうとう倒れました

とうとう倒れました。

 

 

突然に激しい吐き気と腹痛に襲われ、

立ってるのも困難で、布団に倒れましたが、

身じろぎひとつするのもつらいぐらいに激しく気持ちが悪くなりました。

 

気持ち悪いわりには吐けなくて、

台所にしがみついて30分くらいうめき苦しみ、

ありえないぐらいの気持ち悪さに転げまわりそうでした。

 

朦朧としながら彼に電話をすると、

ちょうど仕事終わりで、すぐに行くと言ってくれました。

 

 

彼を待ってる時間に、さまざまなことが頭をよぎりました。

 

 

●一人暮らしはいつもへっちゃらだけど、こんなにも苦しくなったとき、どうすればいいかひたすら不安に感じたこと

 

●来てくれると思った途端に、ずいぶん気がラクになったこと

 

●つい最近、会社で「健康な人に健康のありがたみがわかるわけない」と言う言葉を聞いたこと

 

●どんなに忙しくても、動けることはありがたいということ

 

●具合が悪くなったときに、その場ですぐ電話できる相手は、家族と恋人ぐらいしかいそうにないこと

 

●そういう相手がいてくれるだけで、全然気持ちが違うこと

 

●実家の母からの電話(だいたい父の愚痴で病んでる)を、あまり受けたくないと思っていたこと

 

●でも直接何かしてくれなくても、「つらいんだよ、どうしよう」と頼れる相手がいること自体が、とっても大切なこと…

 

 

 

など、など…。

 

 

結局、そのあと彼が来てくれて、私はしばらく横になり、

薬が効いたのか症状が徐々に収まってきて、

なんとか今日は普通に起きれました。

 

 

気持ち悪さの激しさからすると、インフルエンザか急性胃腸炎並みでしたが、

よく考えてみたら、ゆりぼうは低血圧がひどすぎて、多いときで年に1回こういう風に

なることがあるのを、思い出しました。

ここ2~3年、それが無かったのですっかり忘れていましたが…たぶんそれかな?

と思っています。

(それが起きると突然顔面蒼白になって吐いて倒れたりします)

 

 

 

いろいろなことを振り返った時間となりました。