携帯の充電が減るのが許せないくらいには休息を許せなかったぼく
ハーイ、こんにちは!
ゆりぼうです。
昨日のふにゃふにゃで倒れそうな宣言どおり、今日は会社を休みました。
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個人的には、会社にお休みの電話をする瞬間が、すっごいイヤ。
別に電話先でごねられたり呆れられたりしないってわかってるけど、自分の気持ちがなんかもうイヤ。
「休むこと」が「ずるいこと」だっていう思い込みみたいなのが、自分から抜けないんだと思います。
こうして本当に具合が悪いときでさえも…「本当はまだ頑張って行けたのでは?」と思えてしまう。これ完全にアウトな考え方。頭ではわかる。
わたしは過去に、ズル休みをして誰かに責められた記憶がトラウマ的にあるわけではない。というより、その逆で、大事なときに誰かが休んでるのを見て、「いいよなあ」と思った記憶の方が濃い。
わたしは自分自身に「休むこと」を許可できないタイプなので、誰かがその人自身に「休むこと」を許しているのを見ると、なんだか腹だたしかったり妬ましかったりするのかもしれない。なんと悲しいことなんだろう。
こうやって書いて客観的に見てみると、どう考えてもわたしが自分で休めるようになればいいだけである。
そう、自分に休息を与えることを、覚えればいいだけである。
それがどうしようもなく、わたしにはまだ難しいのだ。ただ、前よりは良くなっている。
前はもっと酷かった。友達との会話で、携帯の充電が少し減ったらどうするか、という話題で「こまめに充電する」という友達の意見の一方でわたしは「充電が減ったことに腹をたてる」と回答した。
友達に「なんで?!」と言われて、自分もはじめてそのとき、休息に対して許せない考え方を自覚した気がする。
そう、そんな時期もあったのだ。