【クリエイティブに生きたい人、必見!!】人がうごくコンテンツのつくり方【高瀬敦也さんまじリスペクト】
ハーイ、こんにちは!
ゆりぼうです。
とりあえず今思ってることを言うぜ…。
高瀬敦也さん、まじ、神…!!
高瀬敦也さんというのは、こちらの本を書かれた方なのだが…。
人がうごくコンテンツのつくり方 高瀬敦也
これ、しゅっごい良かったの…。
何が良かったか、伝えきれないほどしゅごかったんだけど…。
そうね、まず。
コンテンツとはそもそも何か、っていう話から始まるのね。
高瀬敦也さん的には、「世の中に存在するすべてのものはコンテンツ」であると。
ただ、コンテンツ化されているものと、まだされていないものがあるんだと。
そして、誰かが「これはコンテンツだ」と思えば、それはコンテンツだと言えるんですって。
この時点でなんかとっても、ワクワクしません!?
ゆりぼうは、した。
わたしは何職に転職しても、常にクリエイティブな人間でありたいという欲求が強いので、この冒頭だけで、かなりワクワク、した…。
そしてだな、この冒頭ではコンテンツというものをわかりやすく定義しながらも、「コンテンツを作り出す」ということへのハードルまでさらっと下げておるのだ…ウホッ…これはいい冒頭…。
上記の「コンテンツ化」の例をひとつあげると、たとえば、ただのお茶碗があるとする。
それだけだと、本当にただのお茶碗なんだけど、たとえばそのお茶碗には「山田くん」という名前があって、どこで作られて、特徴はあれで、こんな歴史があって…とかを足していくと、途端にそれはコンテンツっぽくなるよねっていう話でした。
そこまで話を聞くと、そのお茶碗はもうただのお茶碗には見えなくて、「山田くん」というお茶碗で、あわよくばアニメされたりグッズ展開されるようなことも想像できるようになるよねって、そんな話でした。
(※だいぶゆりぼう的な解釈で言葉や表現が変わっています)
そんな話が前半の方にあって、以降もいろんな目線から「コンテンツ」というものを考察したり、分析したりする内容が続きます。
話はほんっとにボリュームたっぷりなんだけど、そのうちの結論のひとつを書くと、「コンテンツ化」とは、狭めること・絞ること とも言えるんだそうです。
余分な情報をそぎ落とすという意味でももちろんそうなんだけど、「それに価値を感じてくれそうな人」にピンポイントに届けるために、「ガツンと狭めて、特定のものにする」っていう解釈を、ゆりぼうはしました。
さっきのお茶碗の山田くんも、「名前」や「特徴、歴史」を付随することで、「特定のモノ」になりました。
それはもう、「山田ちゃん」でも「山田食器」でもないし、歴史が設定されていれば「正体不明のお茶碗」や「実はメタモンでした」にもなり得ない。
もう他のモノになり得ないし、他の部分はカバーできないけど、「山田くん」というモノに特定されて、確立されているわけです。
原作(上の「人がうごくコンテンツのつくり方」)にはそうは書いてなかったけど、それが、コンテンツ化するということ、なんだろうなとゆりぼうは読みながら解釈しました。
わたしはマーケティングの本をたまに読んだりするけど、マーケティングの専門の人と、クリエイティブの専門の人では、本質的に同じことを言っていても、ぜんぜん表現が違うんだな、と思いました。
(ちなみに著者の高瀬敦也さんの経歴はガチもんのクリエイティブ系。弟子になりたい。してください。)
マーケティングの専門書も好きだけど、これからはクリエイティブの人が書いている、こういった本も読んでみようと思う。今回の「人がうごくコンテンツのつくり方」は、わたしにとって、とてもとても、面白かった。
そしてなにより、この本1冊を通して一番伝わってきたのは、この著者の高瀬敦也さんという人は、コンテンツをとても愛しているのだ。
(※…と勝手に思った)
正確には、「コンテンツを創造すること」を愛している、と言った方がいいのかもしれない。
「クリエイティブ」に対する情熱と、愛が、1冊のぜんぶから伝わってきた。たぶん、ゆりぼうのように「クリエイティブに生きたい欲求」がある人なら、読んだらすぐわかると思う。
クリエイティブの世界は、必ずしもクリエイティブを愛している人ばかりではない。それが良いか悪いかは、まったく別の話だし、愛していなくたって、素晴らしいものを生み出す人は確かにいる。
でも、高瀬敦也さんのように、ガチもんのクリエイティブ愛みたいなのを見ると、なんだか嬉しくなった。
自分もそんな風になりたいな、と、素直に思えたからだろうか。
とにかく、しゅっごい良かった…。
企画系の人、クリエイターの人、広告業界の人、
そして、クリエイティブに生きたい全ての人に、ぜひおススメしたい1冊でした…!最高!!
お読みいただきありがとうございました♡