ブログ書きの「ネタ切れ・スランプ」の正体とは
よく、ブログを始めたて(もしくはは始めたい人)の質問で、「書いててネタがつきたりしないんですか?」といった意図のものがあるんですが、「ネタがつきる」ということについて思うところがあったので、自分なりに感じていることを書きたいと思います。
【ブログ4ヶ月でネタが切れたことは?】
気づけば当ブログ虹いろココットも、立ち上げて約4ヶ月が経過しました。
私はその間、ある1日を除いて毎日更新を継続してきました。
そのことを踏まえ、現時点での個人的な感想を言わせてもらうなら、
ネタは全くつきない
です。
書きたいこと、誰かに伝えたいこと、届けたいこと、まだまだたくさんあります。
でも、だからと言って、いつもスラスラ書けるわけではないのです。
ゆりぼうも、「なにを書いていいかわからない」という状態に、しばしばなるのです。
人によってはそれを「スランプ」と呼ぶのかもしれませんが。
【ネタがあるのにスランプってどういうこと?】
ここでは「なにを書いたらわからなくなる」という状態を便宜的にスランプと呼ぶことにします。
ゆりぼうの考えですが、
スランプの根本にあるのは「ネタ切れ」よりも「まわりの期待に応えようとしてるから」じゃないでしょうか。
つまり、認められたい、喜ばせたいといった、「承認欲求」です。
これはブログに限らず、何でもそうだと思います。
何かを新しくはじめたとき、まだ何もわかっていないので、とにかく一生懸命に、自分なりに心の思うままにやってみることができます。
でも、ちょっとコツを掴んで成果を上げて、まわりから賞賛&期待をされるようになると、それまでのびのびやってたことが、突然うまくいかなくなったりします。
「あれ? 自分はどうやってそれをやってたんだろう…うまくできなくなっちゃった…」みたいなやつです。
よく、スポーツで才能があるされた小さい子が、プロになれる年齢な達していざデビューすると、うまくいかない…というやつはこれだと思います。
プロという肩書き、スポンサーの存在、「好きだから」やってたスポーツが、「お金をもらう仕事」になること…。
知らぬ間にいろんな要素が増えていって、気づくと身動きがとれなくなってしまうのかもしれません。
【どうすればスランプを脱せるの?】
やはり、当初の目的にかえることです。
スポーツ選手なら「わたしは何のためにそれをやっているのか」
ブログ書きなら、「わたしはなんのためにブログを始めて、なんのために続けているのか」ですね。
これについては、ゆりぼうも考えてみようと思います。
では、また!
続きが書けたらいいな。
お読みいただきありがとうございました!!